2018年06月23日

6月22日(金)グローバル化時代の倫理B

6月22日(金)
グローバル化時代の倫理B

今日もアリストテレスを離れて。

先生からこの問題をどうとらえるかという内容。

事例として

85歳の老夫婦。
おじいさんは体が少し悪い。おばあさんは認知症と脳腫瘍

子供は娘と息子
姉は共働き夫婦(子供・・「つまり孫にあたる」は私立大学生と公立中学校生)

弟は妻は専業主婦(子供・・「つまり孫にあたる」は公立高校生で私立大学進学希望と公立中学校生)

脳腫瘍の薬としてオプシーボという新薬があるが、全額慈悲になる。
効能は2割くらいの人にしか効かない。
それも1か月で聞くのか1年後かはわからない。
効く人には劇的に効く。

医者はの腫瘍の手術は年齢(85歳)なのでしない方がよい。

問題は、おじいさんがこの新薬の治療にとても乗り気。
3500万円はしはらいができるが、それは貯金を取り崩しと自宅売却をすることによる。
当然その後の祖父母の生活費及び住居はない。
また、子供世代にも負担をかけるとともに、孫世代の進路にも影響を与えかねない。

これに対して、治療をすべきか否か?その理由は?

治療をする。
お金がかかるとしてもお母さんだったら支えることが自分の幸せになる(留学生の人の意見)
可能性があるならやったほうがいい。


治療をしない
年齢が高齢(85歳)
薬が効くかどうか不確実
患者本人にの体への負担
残った人の人生にお金をかける
二人だけの問題ではない、子供世代への影響
支援のメリットがない→トリアージ(命の優先順位)


この新薬オポジーボについては国も保険適用を考えたことがある。
対象は5万人→1兆7500億円かかる/年
現在の医療費は40兆円、薬が10兆円


★国家的犯罪についての公的謝罪
するべき
被害者とその不正と影響にきちんと向き合い和解し金銭補償による具体化。

しない
過去の憎しみの再燃と被害者意識の定着。
謝罪は象徴化ではないのか→実際に関わったものがしなくてもよいのか。


道徳的人道主義
それぞれの他人は自らの意思で引き受けた責務のみを負うという考え。
両親、祖父母、同胞の罪を背負うことはできない。
そうする必要もないという考え。

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posted by ばぁさん at 18:40| 埼玉 ☔| グローバル化の倫理B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月19日(火) グローバル化時代の倫理B

6月19日(火)
グローバル化時代の倫理B

今日はアリストテレスとは別の話

過去、合法とされた奴隷制度について(終了したのが1863年/64年)

現在のアメリカ政府は謝罪すべきか否か?
なぜそう考えるのか?

アメリカは1794年に独立宣言をした→すべての人の平等(白人の男性のみ、黒人、アジア人、奴隷は含まず)

キング牧師1963年→アイハブアドリーム→1964年に公民権法成立→法的に差別は無くなった。

謝罪すべき
不正を行いぜんざいにも影響がある。
過去の政府が謝罪をしていないのなら現在の政府が謝罪をすべき。
一つの組織として政府の謝罪によりあるメッセージが発せられる。
過去の政府と現在の政府との連続性があるので謝罪は必要。


謝罪すべきではない。
過去の政府の問題である。
現在の政府は現在のアメリカ政府の問題(人種差別等)に対応すべき→もう怒らないようにするべき。
政府が悪いというより制度を利用した個人が悪い。
改善の努力の方が重要。
過去の政府のことを現在の政府が謝罪は出来ない。
理念などの教育が必要


(私の考え、謝罪すべきではない。過去の時代背景などがある、奴隷制度は有効であった。過去の問題を謝罪するならば、この奴隷制度150年前までなく、どのくらい前までさかのぼることができるのか、そしてどのくらいの過去まで謝罪の対象になるのか、また、アメリカの奴隷制度だけでなく、各国でも色々な問題がある、それはどうなるのか、個人的人道的には謝罪をあってもいいのかとは思うが政府としてはどうなのか、また謝罪のやり方により解決よりかえってもめることとなる可能性もある)


そしてまたアリストテレスになりました(+o+)


アリストテレス

各人に対して各人にふさわしいものを分配すること
正しいこと、差別的であることにおいて真の平等を目指す。

前回の例として、靴1足と家一軒の交換は同じ1対1ではあるがイコールとはならない。

アリストテレス
政治の目的とは?
「善き市民を育てること」→善き人格を持つ者として。
ある価値観を押し付けることになるのではないかという懸念。
個人の自由を奪うことになるのではないか?
現在の政治の一般的な理想は故人の選択の自由→幅をできるだけ大きくすること。
「善き市民」を育てるということは
共通善について考える
実践的判断を身に付ける。
自治参加。
コミュニティ全体を考える。




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posted by ばぁさん at 17:32| 埼玉 ☔| グローバル化の倫理B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月18日(月)相関文化

6月18日(月)
相関文化

今、私たちの目の前にある、日本文化とは、日本古来から続いているものではなく、ある時に大きく改変されているもの
(明治時代、明治政府による改変)

例・・歌舞伎(400年まえからある)→現在の歌舞伎は改変されたもの
例・・神社、明治時代に大きくつくりかえられた

今、現在の日本文化は明治時代に作り替えられたもの。


江戸時代までは神社や歌舞伎は庶民のもの

明治時代になり、歌舞伎座を作る→街のど真ん中の東銀座(それまでは街はずれ)
なぜ・・パリのオペラ座をまねた建築、内容はオペラに対して歌舞伎
外国人が見てもいいもの。
それまでの庶民の娯楽の歌舞伎ではなくなる(何でもあり、猥雑なものも)
警官が規制、天覧歌舞伎になり庶民の娯楽から堅苦しい真面目なものに変えた。
役者も河原乞食からランクアップされた。

政府の考え、外国との条約の改正を目指すため。
治外法権、関税自主権の獲得を目指すため。

相撲
江戸時代は庶民の楽しみ。
見物客はほどんどが男(荒くれ男)
血なまぐさい、荒々しい格闘技。
観客も興奮。
場所は屋外。
土俵の周り4隅に柱を立て、その柱に刀をつける。
何かあったときには刀を抜き治める。

明治時代、外国のスポーツ、日本では相撲がある。
天覧相撲、国技とした。国技館を作る

現在は横綱は品格を求められるがこれは明治になってから。
それまでは強いものがよい。荒々しい格闘技。

神社
江戸時代は、村にいくつもの神社があり、庶民の信仰を集めていた。
明治時代に1村1神社とした。
政府は神社をつかい、政府の知らせるものを神社に知らせてそこから村人に知らせるようにした。(宣伝の場)

1つにまとめるにあたり。

今、神社に行くと、参道→拝殿(お賽銭箱、ここで普通は拝む)→本殿(ここではお祓い等お金を出す、七五三など)
本殿の後ろに回ると、小さい社がたくさんあるはず→これがまとめられた神社。
参道などに神社の由来の碑がある→終わりの方に明治40年代にまとめたとの記述があるはず。
江戸時代の神社には今でいうホームレスがいた神社は受け入れた→神社は何か神社の仕事をさせた。
明治時代にはこれを排除。
ヨーロッパには各村に教会がある。
ステンドグラスなどの立派な教会。
日本も村にいくつものジャンじゃではなくて1つにして管理をしやすくした(多数あると管理がしにくい)

日本は明治時代にヨーロッパを目標として、建物や芸能、人々の暮らしを庶民の娯楽から官製に切り替えた。

江戸時代は260年間戦争がない平和な暮らし。
開国して、富国強兵、戦争ができる国、戦争で勝つ。
平和のために富国強兵?

庶民の暮らしから国が介入した暮らしへ。


(私の考え、でも、それがあったから他のアジアの国のように植民地にならなかったと思う)






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2018年06月17日

6月15日 グローバル化時代の倫理B またまたアリストテレス。うんざり(; ・`д・´)

6月15日
グローバル化時代の倫理B

今日もアリストテレス

★アリストテレス(BC384~322年)
「ニコマコス倫理学」・・・ニコマコスというのはお弟子さんの名前、この人が書いたらしい。

様々な活動には「目的」がある。
その「目的」にはさらに別の「目的」がある場合が多い。
しかし、それ自身の為に望まれるもの。
それ自体が「目的」で有るものがある≠最高善
最高善とは幸福が最高善

人間とは?
他の生物と共通の部分
人間だけが持つ部分=(ロゴス、ことわり、理性的な部分)
  ↑
教示により発展する部分・・・知性的部分
習慣により発展する部分・・・倫理的部分

アリストテレスの幸福とは人間の倫理的な部分がかかわっているものではないかと考えた。

★倫理的部分とは
良いいものを目的として願望、それに到達できるように良く考え、良く考えた結果に基づいて良く選択する。
このような生き方が幸福と関わってくる。
倫理的部分の優秀さ(ギリシャ語でアレテー、徳)
倫理的部分には中庸さが必要。
中庸さとは・・・極端でない事、多すぎない事、少なすぎず
例えば勇気ある事→多すぎると向こう見ず、少なすぎると臆病となる

アリストテレスは他社との関係における中庸さ=正義
この倍の正義とは正しい行いに過不足がないこと。
各人が各人の受けるべきものを過不足(´;ω;`)ウッ…受けること。

例(前回も同じ例)、靴職人が靴1足と、大工が家1軒では同じ1対1だがそのままの交換はありえない。

アリストテレス・・友愛(フィリア)とは
友愛があれば善い生となる→幸福に近づく
国家においても友愛があれば不和は少ない
友愛には3つの種類がある。
●快楽に基づく友愛、友情・・若者に多い(一緒にいると楽しいから)消滅しやすい
●有用性の友愛、友情・・高齢者に多い(便利な相手に頼る)
●善に基づく友愛、友情・・善き人が相手のために善いことを望む、長い時間をかけて習慣づけによって形成される、倫理的・卓越性(美徳)に基づく人格。
倫理的は簡単に変わることはない。

幸福な人は友を必要とするか?→イエス。
友とは別の自己。
人が自分の力で供給できないことを供給してくれる。
人間は社会的な存在であり、他社と共に生きる自然本性をもつ。
幸福とはある種の活動である。
友と生きることはその一部。
自分一人で活動を持続することは簡単ではなく他社との関係において活動する方がよい。

幸福を可能にする環境的条件とは?
教育、立法、政治←互いに影響しあう。
若いころから善い習慣づけを行う教育
それを正しい方法に基づく国家において可能。

善い人格・善い習慣とは何か?
何が「善い」と言えるのか?
「善い」と呼ばれる人々が「善い」と呼ぶような物事
価値への再生さん適側面


私の独り言
いつも善いことばかり考えて生きて行くことも生活も不可能よ!!
自分が善いと考えて行動しても、相手はどうなの?


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2018年06月15日

6月11日 相関文化

6月11日
相関文化

「日本文化史」の影 その2
-江戸の歌舞伎と明治の歌舞伎-

前回のまとめ

日本史上の被差別民
非農業・非定住民・「境界」に携わる人々
狩りをする人、漁業をする人、芸能に携わる人々、墓堀人、渡し船船頭、村境、門付芸人、歌舞伎役者←「異能(特殊な能力)」への畏れと恐れ。
日本の歴史では畏れ。
戦国時代に神仏を畏れなくなった←実力のみ→恐れが残った。

歌舞伎の地位はなぜ上がったのか。
現代の画武器と歌舞伎役者

能→江戸時代までは申楽(猿楽)と言っていた。
文楽、狂言も差別の対象。

日本文化と言われる、相撲、歌舞伎、神社などは江戸時代までの一般庶民が見ていたものとは違う→明治になって作り替えられた。
日本語(国語)も作られた。

歌舞伎は最初は女郎(女郎、めろう)、美少女の踊り→野郎(やろう)歌舞伎、美少年を性的対象(男色・衆道(しゅうどう)→下剋上時代は盛ん、信頼関係を結ぶために男色をする。
江戸時代後期→約200年前にストーリー重視→時代性(世の中を騒がしている事件を取り入れた)、作家が出てきた→ドラマ仕立て、一般受けする。
歌舞伎は庶民にとって気の置けない娯楽となる(堅苦しくない)

芝居小屋
歌舞伎専用の芝居小屋を建てた(江戸時代は町のど真ん中には作られていない)
芝居小屋と遊郭は悪所と言われた→悪所通いはこの2をさす


明治22年(1889年)に現在の東銀座(東京のど真ん中)に歌舞伎専用の歌舞伎座を作った。
建物は西洋建築

明治政府はヨーロッパを視察(岩倉具視等)→気が付いた。ヨーロッパには2つのものがどこにでもある→銀行と劇場。

帰国後に銀行と劇場をつくる。
能は動きが少ないので海外の人には分かりにくい→歌舞伎に目をつける。
ヨーロッパはオペラ、日本では歌舞伎→和製オペラ。
江戸時代には差別されていた歌舞伎役者や歌舞伎を天覧歌舞伎として整えた。
アジアの野蛮な国ではない、オペラ座をまねた歌舞伎座、和製オペラもあるとした。
それまでの歌舞伎は一般庶民が楽しむもの、明治政府が介入してハチャメチャな歌舞伎は無くなった。

相撲、歌舞伎、神社等は明治政府が国として作り替えたもの→型にはめた。


授業終了後、また同じシニアの人とおしゃべり。
これが何より楽しくてたまらない。
授業のことなどや、お互いに取っている他の講座の話や諸々について。











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